大学3大駅伝の1つである第50回全日本大学駅伝が、11月4日、愛知県名古屋市の熱田神宮から三重県伊勢市の伊勢神宮までの8区間106.8㎞で行われ、青山学院大学が5時間13分9秒で2年ぶり2度目の優勝を果たした。
大学3大駅伝は、出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝があり、青山学院大学はこのうち、出雲駅伝、全日本大学駅伝を制した。
来年の箱根駅伝に向け、史上初となる2度目の大学駅伝3冠に王手をかけたことになる。
また、2015年以降、箱根駅伝4連覇を果たしており、来年、5連覇のかけて戦いに挑むことになる。
この青山学院大学陸上部を率いているのは、原晋監督。
青山学院大学をここまで強くした指導法は?
原晋監督について
(Wikipediaより)
生年月日 1967年3月8日
出身地 広島県三原市
経歴
中学から陸上長距離を始める。
世羅高校進学 ⇒ 中央大学進学
1989~1995年 中国電力の陸上競技部所属(1993年に全日本実業団駅伝出場)
1995年 現役引退(故障が原因)
1995~2004年 中国電力でサラリーマン生活
2004年 青山学院大学陸上部監督に就任
選手としての経歴は短く、その後、陸上界を離れてサラリーマン生活後の監督就任という異例の経歴を持つ原晋監督。
2004年監督就任当時、不振続きだった青山学院大学を立て直し、2009年に33年ぶりの箱根駅伝出場を成し遂げた。
監督就任当時のコメントとして、
「監督になった当初、指導実績のない私に対する学生たちの信頼はゼロ。部員の間からは練習に対するやる気も感じられなかった。」
と語っていた。
では、この青山学院大学を、どのようにして立て直し、どのようにして駅伝常勝チームへと導いたのか?
原晋監督の指導法は?
原晋監督の指導法は、大きく分けると3つある。
①半歩先の目標設定
選手に対し、目標管理シートに、ひと月の目標と練習方法を書かすようにしている。
手の届かない目標でなく、必ず達成できる半歩先のゴールであり、これを成し遂げた自信は次へのモチベーションにつながるからである。
その後、5~6人でミーティングを開き、毎回メンバーを替え、学年問わず、違う顔ぶれで話し、目標や練習方法を共有化する。
選手がアドバイスし合うことで自ずとチームに一体感が生まれ、また、自分の目標を自分で深く考えて客観的に見直し人に教えることは個々の成長に繋がる、と監督自身考えている。
②ダメな理由を明確にする
大会の出場メンバーを発表する際、選手全員に向けて、一人一人の選考理由を伝えるようにしている。
前提条件として、絶対に、好き嫌いでは判断しないという点を伝える。
そして、選んだ理由、あるいは選ばなかった理由を説明していく。
特に、選ばれなかった選手に対してはもう一歩踏み込んで、どういった点を訓練すれば成長できるかを付け加える。
万が一、本人にとって不本意であったとしても、納得いく理由を説明できるかどうかが、目標への意欲を左右する、と監督自身考えている。
③数字よりも行動や表情を感じる
メンバーを数字(タイム)だけでは判断しないようにしている。
上に立つ者が心がけるべきことは、数字の裏にある、「チーム内の雰囲気」「各メンバーの顔つきや調子」を事細かに察知する(感じる)ことである。
組織で目標達成を狙うのであれば、人と人との触れ合いの中で感じることにこそ価値がある、と監督自身考えている。
原晋監督の心掛けていたことは?
上記指導法とも重複するが、監督が最も心掛けていたことは何か?
それは、「学生たちに、自由な発想と発言をさせる組織をつくること」である。
これは、「上の言うことに下は黙って従う」といった上下関係の厳しい体育会系組織とは真逆で、学生1人1人の自主性を重んじる体制である。
ただ、基本ルールは存在し、メンバー全員が同じ方向を向いていることが前提となる。
それは、大学を出た後に、一選手でなく、一社会人として困るだろう、という親心の気持ちがあったからである。
目先の目標達成だけでなく、一個人としての成長を促すことを考えている原晋監督。
自立した「個」を形成する上で、非常に重要な考え方である。
まとめ
無名の青山学院大学を立て直し、駅伝常勝チームへと導いてきた原晋監督。
考え方や選手への指導法について、異例であるが、非常に刺激的であり、私自身会社組織を活性化させていく上で非常に参考になった。
やはり、選手時代の出来事や、サラリーマン生活での様々な経験があったからこそ、組織(チーム)を活性化することができたのではないかと思う。
来年1月の箱根駅伝で、是非、5連覇達成してもらいたい。応援しております。